つい先日、知り合いが死にました

一人は中学時代の恩師
英語の先生で、とてもおもしろくいつもお世話になった先生だ

そしてもう一人は、僕の中学時代の友達だ。
別に大親友ってぐらい仲良かったわけではないが
でも、よく話したりしていたし、遊びに行ったりもしていた。

今までは『最初は全然実感わかなかったよ』とゆうのをよく聞いていて
そんなもんなのかな?悲しくはならないのかな?
と思っていた。
でも、実際は全然実感がわかなかった
夜中に友人からメールで他界の報告があって最初は意味がわからなかった。理解できなかった
しばらく会っていなかったとはいえ、いきなり亡くなったと言われても整理できない

その時初めて
『全然実感がわかない』
という意味が理解できた。
本当に実感がわかないのだ、全く
今でもどこかで生きているような感覚
それと同時に
亡くなったという事実を心が受け入れ始めている感覚

二人とも病気が原因だった。
身近な人や関わった人、自分と同じ年齢の人が死ぬ
そうして初めて考える周りの『死』と自分の『死』
改めて知るただ生きていられる事への喜び
テレビのニュースなどで人が亡くなる時よりも鮮明に自分に訴えかけてくる様々な気持ち

ほんの少しではあるが色々な『ものの見方』が変わり、そして広がり、大切さがわかる
いや、教えられると言うべきかもしれない。

感傷にひたるようだけれど、『死』ってゆうやつは誰も知らないし、わからない世界だ
正確に言えば『死』を知った者は、我々で言う『生』の世界での存在は認められていない
ある人が言った
『もし不老不死というものを手に入れてしまったら、それはもはや生ではなく死である』
・・・と

『生』と『死』
どちらが『表』でどちらが『生』なのかはわからないものなのかもしれない

映画『FINAL FANTASY』では『死』はガイアになると説いている
映画『STAR WARS』では『死』はフォースになると説いている
両者とも『死』を『生』として受け入れ、それは決してマイナスではないと言う

皆必ず今の世界を『死』として離れるときが来る
それは誰もがわかっている事実だ
もちろん、同じ世界で生きられないということで悲しむ人がいる、それも当たり前の事実
何1つ悪いところはない
『死』を本来の姿に戻るという人もいる。
『死』をよき事と考え送り出しにためらいのない人もいる
そのどれもが正しいのじゃないかな・・・と思う

こうしてる書いている僕も、読んでくれているあなたにも
いつかかならず『死』は訪れる
その時自分自身がそれをどう考え受け入れるか
その時周りの人がどう感じて何を考えるか
その全てが大切なとこは間違いない気がする

二人に対しては色々想いもあるし考える事、教えられた事がある
僕はこの想いを忘れず大切にしていきたいと思う
ありがとう。