ある人が
「自殺は心の寿命だ」
と言った。

僕もそうだなと感じる。
そこに誰が悪いとか何が悪いとかは、実はあんまりなくて

体力がなくなったら死ぬのと同じで
心の体力がなくなっただけなのかもしれない。

体力が人によって違うように
心の耐久力も当然違う。

だからひどく心が疲弊する何かがあった時
心が壊れてしまう人がいても
それはしかたのないことで

むしろ遥か昔の人間は
作曲家も画家も戦国武将も
心の病で体調を壊したり、時にはそれが原因で死ぬこともあったといいます。

ただ
心へのダメージは目に見えないものだから

与えた方も与えられた方も
与えたことや与えられたことをきちんと認識することができない時もあるし

認識したとして
血なんかでないからどのくらいの傷なのかわからず


目に見えないから


与えた方は、いつかそんなことすら忘れて


与えられた方は自分の傷の深さを把握できずに苦しんで


例えば自分の心の限界を越えて
壊れてしまったり
自分を殺してしまったとしても

周りからは理解されがたく
時と共に次第に忘れ去られていく

全ては「見えないから」というだけで。


たぶんそれこそ
全て見えて受け止めてたら
人類はほとんど死んじゃうんだろうな
って想う。

だから人は、そんくらい適当にできてるんだ

そうしないと死んじゃうから

・・・

もし自分を殺してしまう人がいても
その人を責めようとは想わない。

それはただただ
その人の心にとって
耐えられない出来事が起きただけで

つまり「寿命」や「事故」みたいなものだからね。

「自殺」の原因は色々あっても
「自殺」を選んだその人の心は責めることはできない。


そしてきっと
社会や世界から忘れられて
時に置いていかれて


いつだって
傷をおったもの
被害を受けたもの
壊れたもの
死んだもの


そうでないものに忘れられていく。

なぜなら先を進んでいるものにとっては
そんなのただ重いだけの荷物だから。

人は余計なものは忘れて
幸せが目の前にあれば
重いものは捨てていくから

その方が楽だし、ほとんどの人はそういうふうに「できてるから」

だから当然で当たり前でしかたがない。


・・・

でも僕はそういうの忘れたくないし適当にしたくない


僕は目に見えないものを信じる


必要ないと捨てられるものを拾いたい


重くてもちゃんと背負って歩きたい


その結果押し潰されて

心が壊れたり

心が死んでしまっても

人間でなくなってしまっても

・・・


それでも僕は


そういうものもちゃんと大切にできる人になりたい



後悔したくないから。

辛くても…
自分を殺しても…

目に見えないものを大切にできなくなって生きるよりマシだ